2018年10月31日

色の魔法を信じていて

 色の魔法を信じていて、目に優しそうな紺と水色のあいだくらいの水性ペンを使っている。書きためたメモを後から読みかえすとき、これまでは赤鉛筆か赤のボールペンを使っていたのだが、間違いを書きなおすのになにも朱や赤である必要はなにもない。今の私のほうがずっといい、という意味でそこに時間の隔たりが分かればいいのだから、それならあまり自己主張しすぎずも確かにちがいの分かる、静かな青のインクが好きである。

2016/6/7 鳥山 柚樹

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2018年09月26日

忘れかけていたときめき

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 本格的な撮り鉄になってくると、旅情というものとはなんだか縁遠くなってしまう。外へ出かける目的が、ベストショットをカメラに収めることになってしまって、旅というより出張という言葉に近いものになってしまうからである。綿密に組まれた撮影計画、ただ、列車に遅延や突然の運休、その他のアクシデントはつきものであるから、旅の途中、時刻表に書き込んだ通りにはゆかなくなることもある。午後の予定は総崩れである。

 しかし肩を落とし、仕方なく残りの切符をつかっていると、普段なら目にも留めない小さな通過駅がふと気になるときがある。無人駅でそっと降りてみて、田畑のあいだを歩きながら思いがけず空の広さに気付いたり。

 旅の目的はそれぞれあって結構だけれども、列車の乗り違い、予期せず先へ進めなくなったとき、それがかえって予定外の旅のきっかけに変わるとき、撮り鉄は忘れかけていた旅情のときめきに思いはせるのである。

2017年8月7日 鳥山 柚樹

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2018年08月26日

通り雨

 傾きかけた陽を西に、明るい通り雨のなかを歩いていると、“ I got caught in a shower.”という英語がなんだか詩的な響きをもって聴こえてくる。

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 よく晴れた夏の日をざっと洗い流してゆくのが、冷たい雨である。夏らしく背高い雲が空の果てまで伸びたあと、崩れて降る短かい雨である。

 そんな雨に傘をさして、私の周りで雨が降っている、と言ってみたり、軒先に隠れて雨が止むのを待ってみたりするのではなく、雨に打たれた私ひとりにカメラのフォーカスは絞られて、まるでドラマの主人公かのように、私は今、雨に降られている、と言う。

“I got caught in a shower.”ともすれば、こんな言い回しは学生時代に習うもので、慣れてしまえば、何気ない夏のひとことになるのだろうが、同じ雨を語るにも言葉が違えば描きかたもちがってくるのかと、ひとりロマンティックな空想にふけっている。

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2018年07月19日

ディーゼルが通るふるい駅〜JR関西本線〜

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 柘植と書いて、「つげ」と読ませるのだという。三重と滋賀のさかいめあたり、関西本線と草津線とを結ぶ、まあターミナルである。

 改札を兼ねた一番線ホームから橋を渡って降りる三番線、こちらには草津線のクリーム色の電車が停まっていたり、電化がされている。ただ、ふと見れば一・二番線には架線が張られていない。なるほど、それで空が広く見えたわけである。木造りの風情ある駅舎と、まわりを囲む青々とした山のみどりがきれいである。

 空の色だけを見て、ああ夏だ、などと思うのはやや早とちりかもしれないが、うっすら白いもやのかかった青い空に、私は季節を感じるのである。梅雨のなかやすみのよく晴れた日、草木の吐息、あつい水蒸気に空はうっすらかすんでいる。森も林も呼吸をしている証拠である。

 休日の昼間ということもあろうが、一時間に一本と、かなりあっさりとしたダイヤだから、待てど暮らせど列車は来ない。しかし、駅舎は昔の名残か、長いばかりのホームの端をやたらともて余している。

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2018年06月26日

京都宇治・萬福寺散歩〜JR奈良線〜

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 京都駅から稲荷山を東にみて南へ進み、奈良へと向かうJR奈良線が好きである。単線ゆえに途中の駅で上り電車と下り電車のすれ違いなんかがあって、駅よこの踏切なんかに立っていると、京都行きと奈良ゆきが隣り合わせに並んでいるのを見ることがよくある。平安京と平城京、いづれも古都とは呼ばれるが、「古」くなった時代に大きな隔たりがある。”みやこ路快速”とはみごと私の感慨にはまるネーミングであるが、二つの古都を行ったり来たりする電車の窓辺に寄りかかっていると、終点に近づくにつれ空間よりもなんだか時間を旅しているような錯覚を抱きがちである。

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 光源氏亡きあとの続編が有名な宇治十帖で、通り過ぎるときの駅名標を見て、浅学な私でもぴんとくる。そんな宇治駅は京都からたどれば八つ目の駅であるが、その一つ手前に『黄檗』という馴染みなしにはうかつに読み上げるのもあやしい小さな駅がある。

 きっかけはひょんなことで、古色・日本の伝統色を調べるなかで黄蘗色(きはだいろ)という色に出会うことがあった。純粋なレモンイエローとはまた違った、深みがある黄色である。和色の辞典のようなものがあって、黄蘗色を引いてみると、キハダとはあるミカン科の植物の名前で、その木から採れる染料でものを染めると黄色になるのだという。このときは、この色の名前の由来を知ってひとまず腑に落ちたのだけれど、なんといえども書くのが難しいこの名前、毎度キハダだったかキワダだったか読みためらいがちなこの名前は、消えも流れもしない小さな浮雲のようにぼんやりと私の中に居残っていたのである。

 かくいういきさつ、偶然と偶然の重なり合いで私は『黄檗』という、むつかしい駅に降り立ったのである。

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 日本の三大禅宗は、と訊かれて臨済・曹洞・黄檗と答えるのはもしかしたら常識なのかもしれないが、私はこの三つ目を存じ上げなかった。

 おうばく、と読むこの駅から東へ坂をのぼると、萬福寺というお寺があった。駅前の地図で見る限り、周りとの縮尺からずいぶん大きなお寺だとわかる。京都でいえば龍安寺のおとなりの仁和寺くらいの広さだろうか。お寺の玄関、総門の前に立つと、その傍らに「黄檗宗大本山 萬福寺」と彫られた石柱が立っていて、この門の先がいかに厳かな場所であるかを伝えている。このあたりの地名を調べても黄檗という文字はめっきり出てこないから、先の駅の名はおそらくこの萬福寺にちなんでつけられたものだったのであろう。

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 黄檗宗とは、今から三、四世紀ほど前、ちょうど江戸幕府の政治が戦国の血なまぐささを捨てて、いわゆる文治政治に落ち着いた将軍家綱の頃、中国から日本に移入された禅宗のことである。京都や鎌倉の五山はかつて巡ったことがあって、これら臨済宗・曹洞宗は鎌倉時代に紹介された”鎌倉新仏教”として記憶しているけども、それに比べれば黄檗宗は歴史がそう長くない。もちろん歴史の浅さだけが理由ではないが、このお寺のいたるところどこかしこに、中国明代を感じさせる習慣、いや私たちにとっては微妙な異国情緒を感じさせる風景がいまだ息づいているのである。

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 思わず写真に収めた入口の総門も、日本のお寺に見慣れた私にはものめずらしく映る佇まいで、朱塗りの門扉、牌楼と呼ばれる段違いの瓦屋根、そして屋根瓦の両端を守るしゃちほこにも似た不思議な生き物、地続きであるはずのない異国が目の前にあるようで不思議な感覚を抱かせるのである。いつか画面を通して見た、韓国か中国の大陸の仏教の佇まいが目の前にあるのである。

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