2017年12月16日

関西本線の旅〜単線非電化の鉄路をゆく〜

 大阪方面を上りとすれば、関西本線を下り方向に乗ってみたのは初めてであった。だいぶ前に一度だけ、草津線で三重の柘植駅へ来て、奈良を目指したことはあったけれど、その時は暑い夏だったとおもう。

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 関西本線は中京圏と関西を南側でむすぶ、難波・天王寺から名古屋までの路線である。ただ、加茂駅より西側のベットタウンでは、JR大和路線という愛称のほうが有名で、関西本線という名前はもう今はあまり聞こえてこない。大和路線は特急こそ走っていないものの、何往復もの快速電車が行き交っている。私は大阪からこの大和路快速に乗って、関西本線の旅を始めたが、世界遺産の古る里を過ぎて、木津、加茂と京都府の最南端まで乗り過ごしてみると、電車が走る沿線の景色ががらりと変わる。木津あたりから線路が単線に変わって、どこか予感はしていたのだが、加茂から先は非電化である。電車は否が応でも加茂駅止まりで、ここからはワンマン・ディーゼルの二連に乗ってゆく。

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 一時間に一本のディーゼル車に揺られて、木津川のほとりを流れに逆らい上ってゆく。ほとり、というのはまちがいで、カーテンをあけて川のほうを見れば急な斜面の土手であり、向かいを眺める窓のなかには、絶えず木々や緑が流れている。たしかに景色は美しいが、ともすれば山に繁った草木の自然が私たち人間を川へと押し出してしまうような隘路を、この列車は走っているのである。

 足元のモーター音が、座席を通して私の背中にまで伝わってくる。川べりでありながらかなり急な坂道である。この先に伊賀上野という駅があるが、伊賀とはまさに歴史のなかで暗躍した忍びの者たちを日本中に輩出した国である。今、二連のディーゼルが進んでいるこの路も、かつては身を隠しながら山を越える忍びの道であったのではないか、など小説的ではあるが、私にはそう思えるのである。

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 途中の島ヶ原駅で東からの列車とすれ違った。上り下りのディーゼルが両ホームを埋めているのを見ると、かつてこの路線が幹線であった頃のにぎわいを想像させるようでわくわくした。小さく古い駅舎の立派な屋根の色やつやが、冬の烈しい陽射しのせいで強められているのが、そんなノスタルジアを誘ったのかもしれない。この駅を出ると、ちょうど加茂駅から柘植駅の半分まで来たことになる。島ヶ原のあたりの山里は、山と川に囲まれて土地はそこまで広くはないためか、きれいに造られた棚田を望むことができる。そんな風景に目をやると、お爺さんが独り田んぼの畦道に杖をついて立っている。一時間に一本の列車が過ぎてゆくのも気にかけず、所在なげに枯れ草のたなびく冬の田んぼを見ているようだった。たとえるならば司馬遼太郎、司馬さんのようなきれいな白髪のご老人であったが、杖にもたれるその背中は晩年の司馬さんのようには若くなかった。私は、この山里の夏のようすを勝手に想像して、それをノートに書こうとしていたが、やめてしまった。杖をついて見つめる先の冬の田は、今年のものであるかもしれないが、去年あるいは一昨年からの枯れ畑であるかもしれないと思ったからである。

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 途中の記憶がない。夏にはうるさすぎた山の緑が空気の寒さに和らいで、冬の関西線の旅はのどかな景色を見せてくれ、窓ガラスを通して入ってくる強い陽射しは背中を程よく温めて、うとうととした昼寝に私を誘ってくれるからである。

 終点の柘植駅へ着くと、DD51機関車がやってきていて、もと貨物ヤードだった駅構内の留置線で何やら作業をしていた。線路は何本もあるのに、試運転の幕を回したキハ120と同じ線路に縦列駐車をしていたから、きっと例の台風による現場の復旧作業ではないか、と思った。関西本線は名古屋と大阪を結ぶ路線として、北側を走る東海道本線のバイパスとしてもはたらいてきた。かつて、といってもだいぶ昔になるが、関西本線を東西に走り抜ける貨物列車が設定されていたこともあったという。しかし、貨物が廃止されて久しい今、この非電化の区間を走る列車は、二連のディーゼル・キハ110のみである。いま全国でみられるように、天災で走れなくなったのをきっかけに廃線が進められてしまう、ということがある。過疎化によって、生活インフラに省力化が迫られる現状がある。この時流のなかで、関西本線の要・不要を議論すれば、やはりどの路線よりも真っ先に手がつけやすい路線ということになるのかもしれない。

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 大阪から始まった今日の関西本線の旅は、柘植止まりで終わることとなったが、自然豊かな風景に満ちたこの非電化・単線を残すためにも、いちはやく復旧工事が終わり、この路線を使うひとたちが戻ってくることを願うばかりである。

2017年12月10日 鳥山 柚樹

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2017年12月12日

旧い地名

 辞書を傍らに置いて古い言葉を一つひとつ読み解いてゆくときと同じように、旅をしていて簡単には読み下せないむつかしい地名に出会ったとき、旅の足取りがぐっと深まることがある。

 漢字には音読みと訓読みのふたつがあるが、とかく私たちの周りにありがちなのは前者の中華風の音で素直に読み下してよい地名である。それゆえか、私たちは初めて訪れた土地の名も、とかく物知り顔で勝手に読んでしまいがちであるが、やや町に分け入って、商店街のアーケードかなにかに丁寧なふりがななどを見つけて、恥ずかしい思いをすることも度々ある。

 人口に膾炙した土地の呼び名と、古い伝えの漢字名とが、当て字の関係で組になっているようなとき、よそ者の私には驚きであり、その街への関心の糸口になる。

 こうして知ったかぶりのこっ恥ずかしさを越えて見知らぬ街に興味をそそられるのは、その呼び名にわずか残っているような、古い時代の混じりけない日本語に思いをはせるためである。きっとこの辺りは「やまとことば」の昔からつづく歴史ある街なのではないか、と思うのである。

 こうして各地をさまよっているにつけ、地名のおこりを調べようとする研究の難しさが分かるような気がしてくる。地名というのは、皆が呼ぶからそうと定まったものであり、そもそも誰が決めたものでもないからである。地名は半ば自然のようなものであり、何かのきっかけで突然芽吹き出で、その若木のいくつかだけが人びとの口から口へ伝えられるうちに大きな森の一部と成長し、そしていずれは静かに新しい地層にうずもれ、果ては跡かたなく消え去ってゆくものであるからだ。

2017・8・26

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2017年11月18日

ゆきどまりの駅に立って、思うこと

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 かつて都会の海水浴場だった川崎区の扇町は、その跡もなく工場地帯に生まれ変わったが、思い出話にしばしば“鶴見の扇町”といわれることがある。
 地図の上では、かつて一度もお隣、鶴見区のものになったことはないのだけれど、多摩川の向こうから夏の娯楽をもとめてやってきた人たちには、“鶴見の扇町”なのであろう。というのも、東京・新橋、品川過ぎて、川崎駅の次、鶴見で乗り換える。海の見える町をゆく鶴見線の、海水浴客で満載のにぎやかさが、心に残っているからではなかろうか。
 各地を旅していると、実際の地名とその外にいる人が思い描く場所と名前がすこし違っていることが度々ある。旅人にとって町への入り口はいつも線路であり最寄り駅である。そのまた昔ならば、街道であり、そこから横道の分かれる宿場町である。先のような“間違い”は、それを正すとかそのままでいいとかいう話ではなくて、こういうあいまいさが、人と土地との関わりかたの本当を言っているのだと思う。
 あてもなしに行きどまりの駅へ行って、レールの果てを眺めていると、他愛なくこんなことを思ったりするのである。

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