2018年07月19日

ディーゼルが通るふるい駅〜JR関西本線〜

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 柘植と書いて、「つげ」と読ませるのだという。三重と滋賀のさかいめあたり、関西本線と草津線とを結ぶ、まあターミナルである。

 改札を兼ねた一番線ホームから橋を渡って降りる三番線、こちらには草津線のクリーム色の電車が停まっていたり、電化がされている。ただ、ふと見れば一・二番線には架線が張られていない。なるほど、それで空が広く見えたわけである。木造りの風情ある駅舎と、まわりを囲む青々とした山のみどりがきれいである。

 空の色だけを見て、ああ夏だ、などと思うのはやや早とちりかもしれないが、うっすら白いもやのかかった青い空に、私は季節を感じるのである。梅雨のなかやすみのよく晴れた日、草木の吐息、あつい水蒸気に空はうっすらかすんでいる。森も林も呼吸をしている証拠である。

 休日の昼間ということもあろうが、一時間に一本と、かなりあっさりとしたダイヤだから、待てど暮らせど列車は来ない。しかし、駅舎は昔の名残か、長いばかりのホームの端をやたらともて余している。

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2018年06月26日

京都宇治・萬福寺散歩〜JR奈良線〜

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 京都駅から稲荷山を東にみて南へ進み、奈良へと向かうJR奈良線が好きである。単線ゆえに途中の駅で上り電車と下り電車のすれ違いなんかがあって、駅よこの踏切なんかに立っていると、京都行きと奈良ゆきが隣り合わせに並んでいるのを見ることがよくある。平安京と平城京、いづれも古都とは呼ばれるが、「古」くなった時代に大きな隔たりがある。”みやこ路快速”とはみごと私の感慨にはまるネーミングであるが、二つの古都を行ったり来たりする電車の窓辺に寄りかかっていると、終点に近づくにつれ空間よりもなんだか時間を旅しているような錯覚を抱きがちである。

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 光源氏亡きあとの続編が有名な宇治十帖で、通り過ぎるときの駅名標を見て、浅学な私でもぴんとくる。そんな宇治駅は京都からたどれば八つ目の駅であるが、その一つ手前に『黄檗』という馴染みなしにはうかつに読み上げるのもあやしい小さな駅がある。

 きっかけはひょんなことで、古色・日本の伝統色を調べるなかで黄蘗色(きはだいろ)という色に出会うことがあった。純粋なレモンイエローとはまた違った、深みがある黄色である。和色の辞典のようなものがあって、黄蘗色を引いてみると、キハダとはあるミカン科の植物の名前で、その木から採れる染料でものを染めると黄色になるのだという。このときは、この色の名前の由来を知ってひとまず腑に落ちたのだけれど、なんといえども書くのが難しいこの名前、毎度キハダだったかキワダだったか読みためらいがちなこの名前は、消えも流れもしない小さな浮雲のようにぼんやりと私の中に居残っていたのである。

 かくいういきさつ、偶然と偶然の重なり合いで私は『黄檗』という、むつかしい駅に降り立ったのである。

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 日本の三大禅宗は、と訊かれて臨済・曹洞・黄檗と答えるのはもしかしたら常識なのかもしれないが、私はこの三つ目を存じ上げなかった。

 おうばく、と読むこの駅から東へ坂をのぼると、萬福寺というお寺があった。駅前の地図で見る限り、周りとの縮尺からずいぶん大きなお寺だとわかる。京都でいえば龍安寺のおとなりの仁和寺くらいの広さだろうか。お寺の玄関、総門の前に立つと、その傍らに「黄檗宗大本山 萬福寺」と彫られた石柱が立っていて、この門の先がいかに厳かな場所であるかを伝えている。このあたりの地名を調べても黄檗という文字はめっきり出てこないから、先の駅の名はおそらくこの萬福寺にちなんでつけられたものだったのであろう。

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 黄檗宗とは、今から三、四世紀ほど前、ちょうど江戸幕府の政治が戦国の血なまぐささを捨てて、いわゆる文治政治に落ち着いた将軍家綱の頃、中国から日本に移入された禅宗のことである。京都や鎌倉の五山はかつて巡ったことがあって、これら臨済宗・曹洞宗は鎌倉時代に紹介された”鎌倉新仏教”として記憶しているけども、それに比べれば黄檗宗は歴史がそう長くない。もちろん歴史の浅さだけが理由ではないが、このお寺のいたるところどこかしこに、中国明代を感じさせる習慣、いや私たちにとっては微妙な異国情緒を感じさせる風景がいまだ息づいているのである。

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 思わず写真に収めた入口の総門も、日本のお寺に見慣れた私にはものめずらしく映る佇まいで、朱塗りの門扉、牌楼と呼ばれる段違いの瓦屋根、そして屋根瓦の両端を守るしゃちほこにも似た不思議な生き物、地続きであるはずのない異国が目の前にあるようで不思議な感覚を抱かせるのである。いつか画面を通して見た、韓国か中国の大陸の仏教の佇まいが目の前にあるのである。

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2018年06月19日

私の思想的転回、あるいは平和について

京都のとある喫茶店。白壁をツタがはう、こじんまりとしてどこか懐かしい匂いのする、急ぎ足なら見落としてしまいそうな小さなちいさな喫茶店。

ふときまぐれに立ち止まった喫茶店。流れてきたギターの調べ。好きだったのに近頃なんだか忘れていた、フォーククルセダーズの「イムジン河」が流れていた。

そういえば、あのころフォークソングが大好きだった。ただそれなのに、なぜだか最近遠ざけていた青春の唄。

イムジン河 春の日に 岸辺に花香り
雪解け水を得て 北と南むすぶ
故郷の唄声よ 渡る風となれ
イムジン河 とうとうと 蒼き海に還る

外では雨が降っていて、鏡になった窓のガラスをのぞいてみると、ちょっとばかり怖い顔をした私がこちらを見ている。いまの政治への怒りと不満、世の中を変えようと声を上げても何も変わらない無力感が、近頃の私を極端な思想に走らせていた。私は私であると思って、私でない何かに変わっていた。

ふときまぐれに立ち止まった喫茶店。再び出会った「イムジン河」は、私の知らないイムジン河だった。南北の停戦、そして平和へと進む、ゆっくりではあるが一歩一歩着実に進む今の情勢をそっと後押しするような、希望の持てるすてきな歌詞のイムジン河だった。

私は読みかけていたレーニンやらトロツキーの革命論をそっと閉じて、ため息をひとつした。トロツキストやアナーキストにフォークソングは似合わないな、と本を置いてコーヒーカップに口をつけた。

いつかの古いギターはどこへしまっておいただろう、カップのなかのコーヒーは少し冷めてしまったけれど、革命のことを考えながら飲むコーヒーより、平和を想い飲むコーヒーは、あの日と同じできれいに澄んだ空の味がした。傘をさして店を出ると、梅雨の晴れ間が私を迎えた。

2018・6・19 鳥山 柚樹

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2018年05月26日

四季のない歳時記

 ベトナムから来た人が、ベトナムらしい歳時記をつくりたい、と熱心に語っているのを聴いて驚いた。熱意に満ちた表情になんだか心動かされたのと、和歌のふるさとであるこの日本で、そのリズムさえ顧みる人がめっきり少なくなってしまったことにやや恥じ入ったからである。 四季とりどりに、よそおいを変える自然の姿を伝えるためにつくられた、俳句という日本文学。その五・七・五のなかにみずみずしい季節感を表す“季節のことば”つまり季語を取り込み詠むことが暗黙のルールとなっている。ただ、この決まりごとを今あらためて思いなおすと、俳句がきわめて日本的なものであるという外国のひとのいうことが分かる。日本語の語感・リズムうんぬんの話よりも、俳人、俳句がのぞかせている風景・世界そのものが、四季に彩られたこの国らしさであるからである。

 いつもは見ない世界の地図を広げてみるば、ベトナムは沖縄や台湾よりも南にあって、縦長の国土の南のほうは赤道にぐっと近く、ベトナムには季節がないのだろうと思われる。季節というより、日本のような四季がないと言ったほうが正しいのかもしれない。四季の代わりにあるものといえば、乾季と雨季だけだそうで、わずかな地理の知識をもっても、私たちの知っている「季節」というのとはちょっとちがった気候の移ろいがあるのだとわかる。

 いまの私たちにとってあまり身近とはいい難いこの国で、松尾芭蕉などが紹介され、ついこないだからは、古池にとび込む蛙の音のこころが、ベトナムの学校で子どもたちに教えられているというのだから驚きである。ひょっとしたらかつてのルックイーストやドイモイ政策なんかに始まりをもつものなのかもしれないが、村上春樹など現代作家を含めた日本文学への関心もぽつりぽつりと生まれてきているそうである。近頃ではHAIKUブームなんてものも起こってきて、必ずしも日本風でなしに自国流の独自のこころを探求し、HAIKU VIETを創り上げようというベトナムの俳人・歌人も少しずつ生まれてきているという。

 歴史とか政治のようなしがらみはおいて考えてみると、異国の地で日本文学が読まれ、新しい文学を産みだす種となっているというのはとても嬉しいことである。それも、気候や風土などまったく日本らしくない場所で、日本語はかたことであっても、熱く日本文学について語り考え合っているひとがいるというのは、私たち日本人にあらためて世界の広さを教えてくれることである。

 外を降る大粒のスコールのなか、本を広げて古池の音が彼らの心にどう響くのか。実験というと変なかんじがするが、異質なものと触れ合った時の化学反応からあふれ出すであろう、奥深い面白さに触れることができるのを、日本人ながらなんだかうらやましく思うのである。

2017/6/11 鳥山 柚樹

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2018年05月19日

"伊豆の踊子"

東海道線から伊豆・熱海・修善寺へとゆく特急「踊り子」は、いわずもがな文豪・川端康成の処女作「伊豆の踊子」をふまえた列車である。ながいあいだ「踊り子」の185系がつけて走ってきたヘッドマークを私はひいきにしている。

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絵のなかの、蒼い海の向こうに入道雲が立っているのだから季節は夏で、これはたしかに「伊豆の踊子」の一場面である。前髪をぱつんと切ったまだあどけない顔の少女が水平線のかなたを見つめている。彼女が川端のいう〈踊子〉で、〈私〉はこの娘をつれた旅芸者の一行とこの何日かの半島の旅を共にしてきたのである。その旅の中で一高生の〈私〉は〈踊子〉の純粋なむすめらしさにこころ惹かれる。そして最後には下田の港まで道連れてやってくるのだが、ここで〈私〉はどうしても東京に帰らなくてはならない。

海を見つめる小さな乙女の細く白い右手が、港を発って次第に遠くなってゆく汽笛にこたえて、さよならと言っている。

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折に触れてまた「踊り子」に乗る機会があって、湯河原あたりから見え始めるきらきらとした青い海に、伊豆の半島の夏蜜柑の甘酸っぱさを重ね合わせてみたのである。旅の宿で行李をひろげて、また何度目か「伊豆の踊子」を読み返すのである。

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