2018年10月31日

色の魔法を信じていて

 色の魔法を信じていて、目に優しそうな紺と水色のあいだくらいの水性ペンを使っている。書きためたメモを後から読みかえすとき、これまでは赤鉛筆か赤のボールペンを使っていたのだが、間違いを書きなおすのになにも朱や赤である必要はなにもない。今の私のほうがずっといい、という意味でそこに時間の隔たりが分かればいいのだから、それならあまり自己主張しすぎずも確かにちがいの分かる、静かな青のインクが好きである。

2016/6/7 鳥山 柚樹

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2018年08月26日

通り雨

 傾きかけた陽を西に、明るい通り雨のなかを歩いていると、“ I got caught in a shower.”という英語がなんだか詩的な響きをもって聴こえてくる。

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 よく晴れた夏の日をざっと洗い流してゆくのが、冷たい雨である。夏らしく背高い雲が空の果てまで伸びたあと、崩れて降る短かい雨である。

 そんな雨に傘をさして、私の周りで雨が降っている、と言ってみたり、軒先に隠れて雨が止むのを待ってみたりするのではなく、雨に打たれた私ひとりにカメラのフォーカスは絞られて、まるでドラマの主人公かのように、私は今、雨に降られている、と言う。

“I got caught in a shower.”ともすれば、こんな言い回しは学生時代に習うもので、慣れてしまえば、何気ない夏のひとことになるのだろうが、同じ雨を語るにも言葉が違えば描きかたもちがってくるのかと、ひとりロマンティックな空想にふけっている。

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2018年05月26日

四季のない歳時記

 ベトナムから来た人が、ベトナムらしい歳時記をつくりたい、と熱心に語っているのを聴いて驚いた。熱意に満ちた表情になんだか心動かされたのと、和歌のふるさとであるこの日本で、そのリズムさえ顧みる人がめっきり少なくなってしまったことにやや恥じ入ったからである。 四季とりどりに、よそおいを変える自然の姿を伝えるためにつくられた、俳句という日本文学。その五・七・五のなかにみずみずしい季節感を表す“季節のことば”つまり季語を取り込み詠むことが暗黙のルールとなっている。ただ、この決まりごとを今あらためて思いなおすと、俳句がきわめて日本的なものであるという外国のひとのいうことが分かる。日本語の語感・リズムうんぬんの話よりも、俳人、俳句がのぞかせている風景・世界そのものが、四季に彩られたこの国らしさであるからである。

 いつもは見ない世界の地図を広げてみるば、ベトナムは沖縄や台湾よりも南にあって、縦長の国土の南のほうは赤道にぐっと近く、ベトナムには季節がないのだろうと思われる。季節というより、日本のような四季がないと言ったほうが正しいのかもしれない。四季の代わりにあるものといえば、乾季と雨季だけだそうで、わずかな地理の知識をもっても、私たちの知っている「季節」というのとはちょっとちがった気候の移ろいがあるのだとわかる。

 いまの私たちにとってあまり身近とはいい難いこの国で、松尾芭蕉などが紹介され、ついこないだからは、古池にとび込む蛙の音のこころが、ベトナムの学校で子どもたちに教えられているというのだから驚きである。ひょっとしたらかつてのルックイーストやドイモイ政策なんかに始まりをもつものなのかもしれないが、村上春樹など現代作家を含めた日本文学への関心もぽつりぽつりと生まれてきているそうである。近頃ではHAIKUブームなんてものも起こってきて、必ずしも日本風でなしに自国流の独自のこころを探求し、HAIKU VIETを創り上げようというベトナムの俳人・歌人も少しずつ生まれてきているという。

 歴史とか政治のようなしがらみはおいて考えてみると、異国の地で日本文学が読まれ、新しい文学を産みだす種となっているというのはとても嬉しいことである。それも、気候や風土などまったく日本らしくない場所で、日本語はかたことであっても、熱く日本文学について語り考え合っているひとがいるというのは、私たち日本人にあらためて世界の広さを教えてくれることである。

 外を降る大粒のスコールのなか、本を広げて古池の音が彼らの心にどう響くのか。実験というと変なかんじがするが、異質なものと触れ合った時の化学反応からあふれ出すであろう、奥深い面白さに触れることができるのを、日本人ながらなんだかうらやましく思うのである。

2017/6/11 鳥山 柚樹

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2018年04月02日

くもりのち、あめ

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 地下街を出ると、思いのほか雨はきびしく降りだして、せっかくの傘を濡らさなければならなかった。横風が時折、唐突に吹けば、ひざ下が濡れて冷たかった。ただそれよりも、眼鏡についた水滴は指で何度ぬぐっても、細かいしずくにちぎれるばかり、私の視界を思いやりなく邪魔するのが口惜しかった。

 しかたなしにバスに乗れば、暖められた雨の空気が頬をつかんで髪にまとわりつくのを感じた。バスはたてよこに整然と伸びる二車線を一辻ずつ折れては、北に向かっている。意外とほそい道だから、時々片側が立ち往生しているときなどには、車は限りなく左に寄って、川と流れる側溝を歩道にかき散らしてゆく勢いである。

 季節がらか、朝の予報はあてにならない。曇った窓ガラスを手でこすり、窓の外を見てみるが、“通り雨”はむしろ強くなるばかりである。こんな天気だから車がいつもより多いのか、大通りから細い小道に曲がったならば、前後をすぐに固められてしまった。

 前の車にぐっと詰めて止まっているから、遠くの信号より発車の合図は目の前のテールランプで、降りやまない午後の雨と近づく夕暮れ、動かない車の列。そこにあるのは、ぼんやりとした手もちぶさたのようなもので、結局バスが動きだしたのは、後ろからのクラクションに信号の青を教えられたからであった。ただ信号が変わるのも早いらしく、じりじりと進んでスピードを落とした。先の交差点でしぶきかけた見覚えある赤の傘が、バスの横を通り過ぎていった。足どりはただ淡々として、無口なかんじだった。

 翻ってみると、この車のなかもいつもに増して静まりかえっていて、エンジンを切ると何気ない咳払いなんかもやけに鋭く聞こえるようである。

 こればかりは私の気分に過ぎないのかもしれないが、季節のかわりめの気まぐれで筆先まで冷え切ってしまうのは少し悲しいものである。こよみの上ではもう春なのだから、明日は晴れればいいのだけれども。

2017・9・2

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タグ:春ですね
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2018年03月26日

いらっしゃいませ、春ですね

 あたたかさが残っていたから、飲みほしたコーヒーカップをまだ握りしめていた。底にうっすら残るコーヒー見つめ、掌のなかでぐるぐると、考えごとをしていたのだけれども、思いはいつもの行き止まりに来て、仕方のないこと、と傍らのギターに手を伸ばしては、他愛ないアルペジオを爪弾いて、いつものようにお茶を濁してばかりいる。

 空の寒さ、風の冷たさがあたりまえだったこないだまでは、ストーブを焚いて通り沿いの窓ガラスを内から曇らせておけば、それでよかった。道すがら足を休めてゆくひとも少なくなく、カプチーノの淡い泡、カフェラッテの甘い湯気でコーヒーショップはにぎやかだった。けれど春一番の風が吹いて、三寒四温も温に傾くようなこんな日には、ただこじんまりとして古い街道に溶け込んでしまうような、物静かなこの店はとかく忘られがちで、手もちぶさたにギターを鳴らしてみたりしている春なのである。

 昼過ぎて、西向きの通りから日差しが廊下を照らしだした。窓に近いテーブルはよく光をはね返すらしく、見ていてまぶしく、外の陽気が分かるようだった。

 夢だったお店が始まって、初めての春が来る。マスターと呼ばれてちょうど一周めの春である。はじめはやけによそよそしかった居抜きのカウンターも、新しく揃えたいくつかのテーブルたちも、ゆっくりではあるけれど、私と馴染みになってきているようである。そんなわけだから、期待というのは無いわけではないけれど、今日は不安が私の心を押している。

 この店が温めることができるのは、かじかんだつめたい手か、冷えた頬くらいなのだろうけど、それでは少しさみしいものだ。私はギターの余韻を聴きながら、コーヒーカップに手をやった。寄せたくちびるに、磁器のふちはすっかり冷たくなっていた。空のカップで飲み込んだのは、たださみしさだけだった。こうして私の二年目は始まった。

 ただその傍らで、いくつか嬉しい思い出が浮かんできた。顔なじみになったひとたちのことを思った。この道を通るたび、何度も足を寄せていってくれたひとたちが、また何かのついでにふらりと街道を通ったとき、きっとOPENの文字をお店の窓に見つけてほしい。いくつか笑顔を思い出して、気付かされたのはこんな思いだった。

 手元のカップを片付けて、もう一度ドリッパーに火を入れた。グラスはまだ磨き足りないけれど、スチームのいい音がしてほろ苦いいい匂いが広がった。

 つれづれながら、閉めてしまわなくてよかった。ウィンドチャイムがしゃらりと鳴って、いらっしゃい、ドアが開いた。若いふたり連れ、少しあついような春色のコートのふたりだった。


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