2017年08月21日

どこまでも続くレール、貨物列車

 今日の旅の始まりは神奈川県川崎市のはずれにある、八丁畷駅である。鉄道というと我々が直接乗って交通手段として使う旅客線が主役になりがちだけれども、歴史的に見れば自動車輸送がここまで発達していなかった昔においては貨物列車も非常に重要であったし、今日でも、あからさまに人目に出ることこそ少ないが、裏の主役ともいえる。ここ八丁畷駅がある浜川崎線(南武支線)は細長い日本の東西を結ぶ東海道貨物線の一部となっていて、旅客電車の合間あいまに多くの貨物列車が走っている。

 そんなわけで浜川崎線の取材をしに来たのだけれども、京急線で品川方面から各駅停車で京急の同名の駅に降り立って京急800系の出発を見送っていると、その間に同じタイミングで上の高架駅のほうに浜川崎線205系がトコトコとやってきた。よくダイヤを調べてくるんだった、昼間だから次まで30分くらいは待たなければ、とため息をついた。この駅は京急とJR東日本の共用駅で、一階の京急線のホームと二階の浜川崎線ホームは階段でつながっているのだけれども、駅の中をかけらかすのも行儀がよくないから仕方ない。

Hamakawasaki_Line_Freight_train_01.JPG

 沿線に一つの町内会のような大きなマンションが再開発で建って、それに合わせて新駅なども無人駅ながら作られたから、朝晩はそれほどでもないが、通勤ラッシュが過ぎてしまえば、短い二両編成の205系の旅客線より、長い貨物列車の行き来のほうが多いのが常である。

 長大な貨車を引っぱる電気機関車の額には、普通の電車のように行先は書かれていないが、機関車の横顔にはめられた「吹」や「愛」、「岡」のような文字が遠い貨物のふるさと、あるいはゆくさきを物語っている。

Hamakawasaki_Line_Freight_train_03.JPG

 浜川崎と尻手のあいだの3、4個の小さな駅を、途中すれ違いも無く、一本の205系が行き来するだけの昼間のダイヤのあいだに、全国各地から東京を目指して夜通し走り抜けてきた長いながい貨物列車がラストスパートをかけてゆく風景は、写真を撮りながら見ていてとても不釣り合いのようだけれども、これがまた浜川崎線の魅力だったりする。

 貨物列車らしく機関車は武骨な顔立ちをしていて愛着を持つには簡単ではないだろうが、どこまでもレールはつながっていることから想像を膨らませて、この機関車が走ってゆくなつかしい日本のどこか、まだ見ぬ日本のどこかに思いを馳せたりするのである。

鳥山 柚樹

Hamakawasaki_Line_Freight_train_02.JPG Hamakawasaki_Line_Freight_train_04.JPG
posted by Y.Toriyama at 05:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 電車

2017年08月06日

みずうみのむこうに

東海道本線の米原から京都まではちょうど湖に沿って走るようだから、琵琶湖線という愛称で呼ばれている。途中の彦根から乗った上り電車はやけに空いていた。花火大会があるらしく、彦根では降りてゆく人ばかりを見ていたこともあって、平日の夕方だというのに珍しいじゃないか、と私は言った。きっとこの後の近江八幡で新快速に追い抜かれるダイヤゆえのことであろう。列車は次の安土に着いてドアを開いたが、冷えた空気がホームを一瞬癒しただけで徒らだった。


ずいぶん気の抜けた旅をしているようであるが、今日はひとまず、この窓の外の琵琶湖のむこう、そのひと山越えたさきの京都の街まで行かねばならない。むろん、このままがら空きの普通電車に揺られていれば、ひと眠りでもするうちに京都には連れていってくれるのだが、長い湖畔と山越えの道という距離をむかしの旅人の草鞋のほころびに換えてみたりすると、ふとため息が出るのである。ちょうど列車の向きが太陽の沈むのを追いかけるような形なのが、私にそんな想像をさせるのかもしれない。


米原と京都のあいだ、道程も半ばにさしかかると、いよいよ夕暮れも終いになって、湖西に立ちこめた雨雲だか、比叡・比良の山脈だかに赤い太陽は隠れてしまって、浮雲の横っ腹をむらさきか紅に染めるばかりで、水際は遠く沿線に広がる圃場やその中に散らばる家々は、夕時の風景の中に押し黙ったように暗く沈んでいる。


旅の疲れか、明日への気怠さか、私の視線の行くさきは自然とほおづえをついて眺めみる窓のそとである。舞台の幕が閉じてゆくように日が暮れる、夜のとばり、とはよく言ったもので、東の空はもう夜の色をしているのに、西のほうを向けばかえってあかあかとして、湖の上に広がる大きな空に壮大なグラデーションが映るのである。


大津あたりも近くなって、そのうち車窓に黄色い光がぽつぽつ浮かびだせば、このあいまいな時間は終わりである。そして美しく眺めた広い空も、しょせん光に色付けされたものであったのか、と思い知る切なさがあとに遺るところだが、こんな空の儚さは祭りのあとの線香花火のようだね、と私は言った。


2017年8月6日 鳥山 柚樹
posted by Y.Toriyama at 21:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記