2018年06月26日

京都宇治・萬福寺散歩〜JR奈良線〜

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 京都駅から稲荷山を東にみて南へ進み、奈良へと向かうJR奈良線が好きである。単線ゆえに途中の駅で上り電車と下り電車のすれ違いなんかがあって、駅よこの踏切なんかに立っていると、京都行きと奈良ゆきが隣り合わせに並んでいるのを見ることがよくある。平安京と平城京、いづれも古都とは呼ばれるが、「古」くなった時代に大きな隔たりがある。”みやこ路快速”とはみごと私の感慨にはまるネーミングであるが、二つの古都を行ったり来たりする電車の窓辺に寄りかかっていると、終点に近づくにつれ空間よりもなんだか時間を旅しているような錯覚を抱きがちである。

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 光源氏亡きあとの続編が有名な宇治十帖で、通り過ぎるときの駅名標を見て、浅学な私でもぴんとくる。そんな宇治駅は京都からたどれば八つ目の駅であるが、その一つ手前に『黄檗』という馴染みなしにはうかつに読み上げるのもあやしい小さな駅がある。

 きっかけはひょんなことで、古色・日本の伝統色を調べるなかで黄蘗色(きはだいろ)という色に出会うことがあった。純粋なレモンイエローとはまた違った、深みがある黄色である。和色の辞典のようなものがあって、黄蘗色を引いてみると、キハダとはあるミカン科の植物の名前で、その木から採れる染料でものを染めると黄色になるのだという。このときは、この色の名前の由来を知ってひとまず腑に落ちたのだけれど、なんといえども書くのが難しいこの名前、毎度キハダだったかキワダだったか読みためらいがちなこの名前は、消えも流れもしない小さな浮雲のようにぼんやりと私の中に居残っていたのである。

 かくいういきさつ、偶然と偶然の重なり合いで私は『黄檗』という、むつかしい駅に降り立ったのである。

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 日本の三大禅宗は、と訊かれて臨済・曹洞・黄檗と答えるのはもしかしたら常識なのかもしれないが、私はこの三つ目を存じ上げなかった。

 おうばく、と読むこの駅から東へ坂をのぼると、萬福寺というお寺があった。駅前の地図で見る限り、周りとの縮尺からずいぶん大きなお寺だとわかる。京都でいえば龍安寺のおとなりの仁和寺くらいの広さだろうか。お寺の玄関、総門の前に立つと、その傍らに「黄檗宗大本山 萬福寺」と彫られた石柱が立っていて、この門の先がいかに厳かな場所であるかを伝えている。このあたりの地名を調べても黄檗という文字はめっきり出てこないから、先の駅の名はおそらくこの萬福寺にちなんでつけられたものだったのであろう。

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 黄檗宗とは、今から三、四世紀ほど前、ちょうど江戸幕府の政治が戦国の血なまぐささを捨てて、いわゆる文治政治に落ち着いた将軍家綱の頃、中国から日本に移入された禅宗のことである。京都や鎌倉の五山はかつて巡ったことがあって、これら臨済宗・曹洞宗は鎌倉時代に紹介された”鎌倉新仏教”として記憶しているけども、それに比べれば黄檗宗は歴史がそう長くない。もちろん歴史の浅さだけが理由ではないが、このお寺のいたるところどこかしこに、中国明代を感じさせる習慣、いや私たちにとっては微妙な異国情緒を感じさせる風景がいまだ息づいているのである。

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 思わず写真に収めた入口の総門も、日本のお寺に見慣れた私にはものめずらしく映る佇まいで、朱塗りの門扉、牌楼と呼ばれる段違いの瓦屋根、そして屋根瓦の両端を守るしゃちほこにも似た不思議な生き物、地続きであるはずのない異国が目の前にあるようで不思議な感覚を抱かせるのである。いつか画面を通して見た、韓国か中国の大陸の仏教の佇まいが目の前にあるのである。

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2018年06月19日

私の思想的転回、あるいは平和について

京都のとある喫茶店。白壁をツタがはう、こじんまりとしてどこか懐かしい匂いのする、急ぎ足なら見落としてしまいそうな小さなちいさな喫茶店。

ふときまぐれに立ち止まった喫茶店。流れてきたギターの調べ。好きだったのに近頃なんだか忘れていた、フォーククルセダーズの「イムジン河」が流れていた。

そういえば、あのころフォークソングが大好きだった。ただそれなのに、なぜだか最近遠ざけていた青春の唄。

イムジン河 春の日に 岸辺に花香り
雪解け水を得て 北と南むすぶ
故郷の唄声よ 渡る風となれ
イムジン河 とうとうと 蒼き海に還る

外では雨が降っていて、鏡になった窓のガラスをのぞいてみると、ちょっとばかり怖い顔をした私がこちらを見ている。いまの政治への怒りと不満、世の中を変えようと声を上げても何も変わらない無力感が、近頃の私を極端な思想に走らせていた。私は私であると思って、私でない何かに変わっていた。

ふときまぐれに立ち止まった喫茶店。再び出会った「イムジン河」は、私の知らないイムジン河だった。南北の停戦、そして平和へと進む、ゆっくりではあるが一歩一歩着実に進む今の情勢をそっと後押しするような、希望の持てるすてきな歌詞のイムジン河だった。

私は読みかけていたレーニンやらトロツキーの革命論をそっと閉じて、ため息をひとつした。トロツキストやアナーキストにフォークソングは似合わないな、と本を置いてコーヒーカップに口をつけた。

いつかの古いギターはどこへしまっておいただろう、カップのなかのコーヒーは少し冷めてしまったけれど、革命のことを考えながら飲むコーヒーより、平和を想い飲むコーヒーは、あの日と同じできれいに澄んだ空の味がした。傘をさして店を出ると、梅雨の晴れ間が私を迎えた。

2018・6・19 鳥山 柚樹

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