2017年11月18日

ゆきどまりの駅に立って、思うこと

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 かつて都会の海水浴場だった川崎区の扇町は、その跡もなく工場地帯に生まれ変わったが、思い出話にしばしば“鶴見の扇町”といわれることがある。
 地図の上では、かつて一度もお隣、鶴見区のものになったことはないのだけれど、多摩川の向こうから夏の娯楽をもとめてやってきた人たちには、“鶴見の扇町”なのであろう。というのも、東京・新橋、品川過ぎて、川崎駅の次、鶴見で乗り換える。海の見える町をゆく鶴見線の、海水浴客で満載のにぎやかさが、心に残っているからではなかろうか。
 各地を旅していると、実際の地名とその外にいる人が思い描く場所と名前がすこし違っていることが度々ある。旅人にとって町への入り口はいつも線路であり最寄り駅である。そのまた昔ならば、街道であり、そこから横道の分かれる宿場町である。先のような“間違い”は、それを正すとかそのままでいいとかいう話ではなくて、こういうあいまいさが、人と土地との関わりかたの本当を言っているのだと思う。
 あてもなしに行きどまりの駅へ行って、レールの果てを眺めていると、他愛なくこんなことを思ったりするのである。

posted by Y.Toriyama at 00:00| Comment(0) | 日記
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