2018年06月19日

私の思想的転回、あるいは平和について

京都のとある喫茶店。白壁をツタがはう、こじんまりとしてどこか懐かしい匂いのする、急ぎ足なら見落としてしまいそうな小さなちいさな喫茶店。

ふときまぐれに立ち止まった喫茶店。流れてきたギターの調べ。好きだったのに近頃なんだか忘れていた、フォーククルセダーズの「イムジン河」が流れていた。

そういえば、あのころフォークソングが大好きだった。ただそれなのに、なぜだか最近遠ざけていた青春の唄。

イムジン河 春の日に 岸辺に花香り
雪解け水を得て 北と南むすぶ
故郷の唄声よ 渡る風となれ
イムジン河 とうとうと 蒼き海に還る

外では雨が降っていて、鏡になった窓のガラスをのぞいてみると、ちょっとばかり怖い顔をした私がこちらを見ている。いまの政治への怒りと不満、世の中を変えようと声を上げても何も変わらない無力感が、近頃の私を極端な思想に走らせていた。私は私であると思って、私でない何かに変わっていた。

ふときまぐれに立ち止まった喫茶店。再び出会った「イムジン河」は、私の知らないイムジン河だった。南北の停戦、そして平和へと進む、ゆっくりではあるが一歩一歩着実に進む今の情勢をそっと後押しするような、希望の持てるすてきな歌詞のイムジン河だった。

私は読みかけていたレーニンやらトロツキーの革命論をそっと閉じて、ため息をひとつした。トロツキストやアナーキストにフォークソングは似合わないな、と本を置いてコーヒーカップに口をつけた。

いつかの古いギターはどこへしまっておいただろう、カップのなかのコーヒーは少し冷めてしまったけれど、革命のことを考えながら飲むコーヒーより、平和を想い飲むコーヒーは、あの日と同じできれいに澄んだ空の味がした。傘をさして店を出ると、梅雨の晴れ間が私を迎えた。

2018・6・19 鳥山 柚樹

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2018年05月26日

四季のない歳時記

 ベトナムから来た人が、ベトナムらしい歳時記をつくりたい、と熱心に語っているのを聴いて驚いた。熱意に満ちた表情になんだか心動かされたのと、和歌のふるさとであるこの日本で、そのリズムさえ顧みる人がめっきり少なくなってしまったことにやや恥じ入ったからである。 四季とりどりに、よそおいを変える自然の姿を伝えるためにつくられた、俳句という日本文学。その五・七・五のなかにみずみずしい季節感を表す“季節のことば”つまり季語を取り込み詠むことが暗黙のルールとなっている。ただ、この決まりごとを今あらためて思いなおすと、俳句がきわめて日本的なものであるという外国のひとのいうことが分かる。日本語の語感・リズムうんぬんの話よりも、俳人、俳句がのぞかせている風景・世界そのものが、四季に彩られたこの国らしさであるからである。

 いつもは見ない世界の地図を広げてみるば、ベトナムは沖縄や台湾よりも南にあって、縦長の国土の南のほうは赤道にぐっと近く、ベトナムには季節がないのだろうと思われる。季節というより、日本のような四季がないと言ったほうが正しいのかもしれない。四季の代わりにあるものといえば、乾季と雨季だけだそうで、わずかな地理の知識をもっても、私たちの知っている「季節」というのとはちょっとちがった気候の移ろいがあるのだとわかる。

 いまの私たちにとってあまり身近とはいい難いこの国で、松尾芭蕉などが紹介され、ついこないだからは、古池にとび込む蛙の音のこころが、ベトナムの学校で子どもたちに教えられているというのだから驚きである。ひょっとしたらかつてのルックイーストやドイモイ政策なんかに始まりをもつものなのかもしれないが、村上春樹など現代作家を含めた日本文学への関心もぽつりぽつりと生まれてきているそうである。近頃ではHAIKUブームなんてものも起こってきて、必ずしも日本風でなしに自国流の独自のこころを探求し、HAIKU VIETを創り上げようというベトナムの俳人・歌人も少しずつ生まれてきているという。

 歴史とか政治のようなしがらみはおいて考えてみると、異国の地で日本文学が読まれ、新しい文学を産みだす種となっているというのはとても嬉しいことである。それも、気候や風土などまったく日本らしくない場所で、日本語はかたことであっても、熱く日本文学について語り考え合っているひとがいるというのは、私たち日本人にあらためて世界の広さを教えてくれることである。

 外を降る大粒のスコールのなか、本を広げて古池の音が彼らの心にどう響くのか。実験というと変なかんじがするが、異質なものと触れ合った時の化学反応からあふれ出すであろう、奥深い面白さに触れることができるのを、日本人ながらなんだかうらやましく思うのである。

2017/6/11 鳥山 柚樹

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2017年12月16日

関西本線の旅〜単線非電化の鉄路をゆく〜

 大阪方面を上りとすれば、関西本線を下り方向に乗ってみたのは初めてであった。だいぶ前に一度だけ、草津線で三重の柘植駅へ来て、奈良を目指したことはあったけれど、その時は暑い夏だったとおもう。

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 関西本線は中京圏と関西を南側でむすぶ、難波・天王寺から名古屋までの路線である。ただ、加茂駅より西側のベットタウンでは、JR大和路線という愛称のほうが有名で、関西本線という名前はもう今はあまり聞こえてこない。大和路線は特急こそ走っていないものの、何往復もの快速電車が行き交っている。私は大阪からこの大和路快速に乗って、関西本線の旅を始めたが、世界遺産の古る里を過ぎて、木津、加茂と京都府の最南端まで乗り過ごしてみると、電車が走る沿線の景色ががらりと変わる。木津あたりから線路が単線に変わって、どこか予感はしていたのだが、加茂から先は非電化である。電車は否が応でも加茂駅止まりで、ここからはワンマン・ディーゼルの二連に乗ってゆく。

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 一時間に一本のディーゼル車に揺られて、木津川のほとりを流れに逆らい上ってゆく。ほとり、というのはまちがいで、カーテンをあけて川のほうを見れば急な斜面の土手であり、向かいを眺める窓のなかには、絶えず木々や緑が流れている。たしかに景色は美しいが、ともすれば山に繁った草木の自然が私たち人間を川へと押し出してしまうような隘路を、この列車は走っているのである。

 足元のモーター音が、座席を通して私の背中にまで伝わってくる。川べりでありながらかなり急な坂道である。この先に伊賀上野という駅があるが、伊賀とはまさに歴史のなかで暗躍した忍びの者たちを日本中に輩出した国である。今、二連のディーゼルが進んでいるこの路も、かつては身を隠しながら山を越える忍びの道であったのではないか、など小説的ではあるが、私にはそう思えるのである。

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 途中の島ヶ原駅で東からの列車とすれ違った。上り下りのディーゼルが両ホームを埋めているのを見ると、かつてこの路線が幹線であった頃のにぎわいを想像させるようでわくわくした。小さく古い駅舎の立派な屋根の色やつやが、冬の烈しい陽射しのせいで強められているのが、そんなノスタルジアを誘ったのかもしれない。この駅を出ると、ちょうど加茂駅から柘植駅の半分まで来たことになる。島ヶ原のあたりの山里は、山と川に囲まれて土地はそこまで広くはないためか、きれいに造られた棚田を望むことができる。そんな風景に目をやると、お爺さんが独り田んぼの畦道に杖をついて立っている。一時間に一本の列車が過ぎてゆくのも気にかけず、所在なげに枯れ草のたなびく冬の田んぼを見ているようだった。たとえるならば司馬遼太郎、司馬さんのようなきれいな白髪のご老人であったが、杖にもたれるその背中は晩年の司馬さんのようには若くなかった。私は、この山里の夏のようすを勝手に想像して、それをノートに書こうとしていたが、やめてしまった。杖をついて見つめる先の冬の田は、今年のものであるかもしれないが、去年あるいは一昨年からの枯れ畑であるかもしれないと思ったからである。

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 途中の記憶がない。夏にはうるさすぎた山の緑が空気の寒さに和らいで、冬の関西線の旅はのどかな景色を見せてくれ、窓ガラスを通して入ってくる強い陽射しは背中を程よく温めて、うとうととした昼寝に私を誘ってくれるからである。

 終点の柘植駅へ着くと、DD51機関車がやってきていて、もと貨物ヤードだった駅構内の留置線で何やら作業をしていた。線路は何本もあるのに、試運転の幕を回したキハ120と同じ線路に縦列駐車をしていたから、きっと例の台風による現場の復旧作業ではないか、と思った。関西本線は名古屋と大阪を結ぶ路線として、北側を走る東海道本線のバイパスとしてもはたらいてきた。かつて、といってもだいぶ昔になるが、関西本線を東西に走り抜ける貨物列車が設定されていたこともあったという。しかし、貨物が廃止されて久しい今、この非電化の区間を走る列車は、二連のディーゼル・キハ110のみである。いま全国でみられるように、天災で走れなくなったのをきっかけに廃線が進められてしまう、ということがある。過疎化によって、生活インフラに省力化が迫られる現状がある。この時流のなかで、関西本線の要・不要を議論すれば、やはりどの路線よりも真っ先に手がつけやすい路線ということになるのかもしれない。

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 大阪から始まった今日の関西本線の旅は、柘植止まりで終わることとなったが、自然豊かな風景に満ちたこの非電化・単線を残すためにも、いちはやく復旧工事が終わり、この路線を使うひとたちが戻ってくることを願うばかりである。

2017年12月10日 鳥山 柚樹

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