2018年09月26日

忘れかけていたときめき

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 本格的な撮り鉄になってくると、旅情というものとはなんだか縁遠くなってしまう。外へ出かける目的が、ベストショットをカメラに収めることになってしまって、旅というより出張という言葉に近いものになってしまうからである。綿密に組まれた撮影計画、ただ、列車に遅延や突然の運休、その他のアクシデントはつきものであるから、旅の途中、時刻表に書き込んだ通りにはゆかなくなることもある。午後の予定は総崩れである。

 しかし肩を落とし、仕方なく残りの切符をつかっていると、普段なら目にも留めない小さな通過駅がふと気になるときがある。無人駅でそっと降りてみて、田畑のあいだを歩きながら思いがけず空の広さに気付いたり。

 旅の目的はそれぞれあって結構だけれども、列車の乗り違い、予期せず先へ進めなくなったとき、それがかえって予定外の旅のきっかけに変わるとき、撮り鉄は忘れかけていた旅情のときめきに思いはせるのである。

2017年8月7日 鳥山 柚樹

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2018年08月26日

通り雨

 傾きかけた陽を西に、明るい通り雨のなかを歩いていると、“ I got caught in a shower.”という英語がなんだか詩的な響きをもって聴こえてくる。

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 よく晴れた夏の日をざっと洗い流してゆくのが、冷たい雨である。夏らしく背高い雲が空の果てまで伸びたあと、崩れて降る短かい雨である。

 そんな雨に傘をさして、私の周りで雨が降っている、と言ってみたり、軒先に隠れて雨が止むのを待ってみたりするのではなく、雨に打たれた私ひとりにカメラのフォーカスは絞られて、まるでドラマの主人公かのように、私は今、雨に降られている、と言う。

“I got caught in a shower.”ともすれば、こんな言い回しは学生時代に習うもので、慣れてしまえば、何気ない夏のひとことになるのだろうが、同じ雨を語るにも言葉が違えば描きかたもちがってくるのかと、ひとりロマンティックな空想にふけっている。

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2018年06月19日

私の思想的転回、あるいは平和について

京都のとある喫茶店。白壁をツタがはう、こじんまりとしてどこか懐かしい匂いのする、急ぎ足なら見落としてしまいそうな小さなちいさな喫茶店。

ふときまぐれに立ち止まった喫茶店。流れてきたギターの調べ。好きだったのに近頃なんだか忘れていた、フォーククルセダーズの「イムジン河」が流れていた。

そういえば、あのころフォークソングが大好きだった。ただそれなのに、なぜだか最近遠ざけていた青春の唄。

イムジン河 春の日に 岸辺に花香り
雪解け水を得て 北と南むすぶ
故郷の唄声よ 渡る風となれ
イムジン河 とうとうと 蒼き海に還る

外では雨が降っていて、鏡になった窓のガラスをのぞいてみると、ちょっとばかり怖い顔をした私がこちらを見ている。いまの政治への怒りと不満、世の中を変えようと声を上げても何も変わらない無力感が、近頃の私を極端な思想に走らせていた。私は私であると思って、私でない何かに変わっていた。

ふときまぐれに立ち止まった喫茶店。再び出会った「イムジン河」は、私の知らないイムジン河だった。南北の停戦、そして平和へと進む、ゆっくりではあるが一歩一歩着実に進む今の情勢をそっと後押しするような、希望の持てるすてきな歌詞のイムジン河だった。

私は読みかけていたレーニンやらトロツキーの革命論をそっと閉じて、ため息をひとつした。トロツキストやアナーキストにフォークソングは似合わないな、と本を置いてコーヒーカップに口をつけた。

いつかの古いギターはどこへしまっておいただろう、カップのなかのコーヒーは少し冷めてしまったけれど、革命のことを考えながら飲むコーヒーより、平和を想い飲むコーヒーは、あの日と同じできれいに澄んだ空の味がした。傘をさして店を出ると、梅雨の晴れ間が私を迎えた。

2018・6・19 鳥山 柚樹

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