2017年12月12日

旧い地名

 辞書を傍らに置いて古い言葉を一つひとつ読み解いてゆくときと同じように、旅をしていて簡単には読み下せないむつかしい地名に出会ったとき、旅の足取りがぐっと深まることがある。

 漢字には音読みと訓読みのふたつがあるが、とかく私たちの周りにありがちなのは前者の中華風の音で素直に読み下してよい地名である。それゆえか、私たちは初めて訪れた土地の名も、とかく物知り顔で勝手に読んでしまいがちであるが、やや町に分け入って、商店街のアーケードかなにかに丁寧なふりがななどを見つけて、恥ずかしい思いをすることも度々ある。

 人口に膾炙した土地の呼び名と、古い伝えの漢字名とが、当て字の関係で組になっているようなとき、よそ者の私には驚きであり、その街への関心の糸口になる。

 こうして知ったかぶりのこっ恥ずかしさを越えて見知らぬ街に興味をそそられるのは、その呼び名にわずか残っているような、古い時代の混じりけない日本語に思いをはせるためである。きっとこの辺りは「やまとことば」の昔からつづく歴史ある街なのではないか、と思うのである。

 こうして各地をさまよっているにつけ、地名のおこりを調べようとする研究の難しさが分かるような気がしてくる。地名というのは、皆が呼ぶからそうと定まったものであり、そもそも誰が決めたものでもないからである。地名は半ば自然のようなものであり、何かのきっかけで突然芽吹き出で、その若木のいくつかだけが人びとの口から口へ伝えられるうちに大きな森の一部と成長し、そしていずれは静かに新しい地層にうずもれ、果ては跡かたなく消え去ってゆくものであるからだ。

2017・8・26

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2017年11月18日

ゆきどまりの駅に立って、思うこと

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 かつて都会の海水浴場だった川崎区の扇町は、その跡もなく工場地帯に生まれ変わったが、思い出話にしばしば“鶴見の扇町”といわれることがある。
 地図の上では、かつて一度もお隣、鶴見区のものになったことはないのだけれど、多摩川の向こうから夏の娯楽をもとめてやってきた人たちには、“鶴見の扇町”なのであろう。というのも、東京・新橋、品川過ぎて、川崎駅の次、鶴見で乗り換える。海の見える町をゆく鶴見線の、海水浴客で満載のにぎやかさが、心に残っているからではなかろうか。
 各地を旅していると、実際の地名とその外にいる人が思い描く場所と名前がすこし違っていることが度々ある。旅人にとって町への入り口はいつも線路であり最寄り駅である。そのまた昔ならば、街道であり、そこから横道の分かれる宿場町である。先のような“間違い”は、それを正すとかそのままでいいとかいう話ではなくて、こういうあいまいさが、人と土地との関わりかたの本当を言っているのだと思う。
 あてもなしに行きどまりの駅へ行って、レールの果てを眺めていると、他愛なくこんなことを思ったりするのである。

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2017年11月05日

陽暮れかかる、旅のみそら

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 堰きとめられた静かな水面が、鏡のように向こう岸の紅葉を映している。背の高い山に囲まれた盆地にありがちで、ここの山里の夕暮れも早い。ちょうど私はなだらかな河の南岸に立っていることになるのであって、私の来た道はもう薄暗かった。だから、土手に伸びる道の向こうにまだあかあかと照らされた樹々の赤色を見たときには、寒さではなくその明るさに心震えた。

 河北のあたりはおそらく田んぼのような低い土地が続いていて、どこかで急に背高い山につながっている。色を変えない木も多いらしく、夕暮れて来るまではその山肌の美しさに気がつかなかったのであるが、沈みかけの陽に誇張されてだろうか、いちめん真っ赤に染めた秋の山がそのまま眼に映るのも美しく、さらに静かな川面に映りこんだ。ときおりその風景を揺らめかすのは、家路を急ぐ水鳥の滑る跡だった。

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