2017年08月06日

みずうみのむこうに

東海道本線の米原から京都まではちょうど湖に沿って走るようだから、琵琶湖線という愛称で呼ばれている。途中の彦根から乗った上り電車はやけに空いていた。花火大会があるらしく、彦根では降りてゆく人ばかりを見ていたこともあって、平日の夕方だというのに珍しいじゃないか、と私は言った。きっとこの後の近江八幡で新快速に追い抜かれるダイヤゆえのことであろう。列車は次の安土に着いてドアを開いたが、冷えた空気がホームを一瞬癒しただけで徒らだった。


ずいぶん気の抜けた旅をしているようであるが、今日はひとまず、この窓の外の琵琶湖のむこう、そのひと山越えたさきの京都の街まで行かねばならない。むろん、このままがら空きの普通電車に揺られていれば、ひと眠りでもするうちに京都には連れていってくれるのだが、長い湖畔と山越えの道という距離をむかしの旅人の草鞋のほころびに換えてみたりすると、ふとため息が出るのである。ちょうど列車の向きが太陽の沈むのを追いかけるような形なのが、私にそんな想像をさせるのかもしれない。


米原と京都のあいだ、道程も半ばにさしかかると、いよいよ夕暮れも終いになって、湖西に立ちこめた雨雲だか、比叡・比良の山脈だかに赤い太陽は隠れてしまって、浮雲の横っ腹をむらさきか紅に染めるばかりで、水際は遠く沿線に広がる圃場やその中に散らばる家々は、夕時の風景の中に押し黙ったように暗く沈んでいる。


旅の疲れか、明日への気怠さか、私の視線の行くさきは自然とほおづえをついて眺めみる窓のそとである。舞台の幕が閉じてゆくように日が暮れる、夜のとばり、とはよく言ったもので、東の空はもう夜の色をしているのに、西のほうを向けばかえってあかあかとして、湖の上に広がる大きな空に壮大なグラデーションが映るのである。


大津あたりも近くなって、そのうち車窓に黄色い光がぽつぽつ浮かびだせば、このあいまいな時間は終わりである。そして美しく眺めた広い空も、しょせん光に色付けされたものであったのか、と思い知る切なさがあとに遺るところだが、こんな空の儚さは祭りのあとの線香花火のようだね、と私は言った。


2017年8月6日 鳥山 柚樹
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2017年06月23日

宇宙(そら)に一番近い場所〜小海線・野辺山高原

 JR小海線は中央本線の小淵沢と、かつての信越本線の小諸とを結ぶ、単線・非電化のローカル線である。小諸と言えば、浅間のふもと軽井沢のお隣で、詩人・島村藤村も足跡をのこした土地、おとずれてみたい街であるが、小海線には「八ヶ岳高原線」と愛称がつくほどで、出発駅の小淵沢から連峰をのぞみつつ、ゆっくりゆっくりと八ヶ岳のふもとの緑鮮やかな林のなかをずっとのぼってゆく。白樺林のなか、ふと気まぐれに小さな家が見えたりして、南の軽井沢とでもいいたくなる。

 こうしてディーゼルに揺られて八ヶ岳を目指すのは初めてなのであるが、この先にJR線の最高地点があるということは有名で聞いていた。黒部峡谷鉄道などを除けば、日本で一番高いところを走る列車である。その最高地点というのは、小淵沢から30分ほどの野辺山駅の直前にあって、車内のアナウンスでも話してはいたのだが、肝心なその標高は書きとめておけなかった。というのも、山肌の形をうつすように緑の濃淡をなした八ヶ岳と、そのふもとに広がる畑の中に立って大きな空を見上げている白いパラボラが、高原らしい晴れのなかでなんともいえぬ調和、ひとつの景色をつくっていたからである。

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 野辺山高原におかれたこのパラボラは、ミリ波電波望遠鏡と呼ばれるもので、遠い宇宙で発せられた光のようなとても弱い電波を観測するためのアンテナで、直径が45mもある。宇宙というのは広すぎて、光の伝わる速さを物差しに使うのだが、光の速さは有限である。つまり、遠いとおい宇宙のことがわかるということは、とおい昔のことがわかるということと同じである。野辺山のこの宇宙望遠鏡よりも、大きさだけでは世界にもっと大きなものはあるのだが、繊細な技術によって常にアンテナの形がきれいに整えられているために、世界でもこの上ない精度で昔の宇宙の姿を知ることができるそうである。

  ディーゼルの匂いも味わい深く、野辺山の駅に降り立ってみると、空だけでなくて、初夏らしく心もはればれとしてきたようで、駅前で自転車を借りて、広々とした畑と青空のあいだをのびのびと駈けてみたいと思ったりしたのが、新鮮だった。高原に住む人たちの暮らしはおよそ駅の周りに集まっていて、視界のつづくかぎり点描画のようにきれいに緑の並んだ畑が広がっているようである。そのなかに電波望遠鏡のような大きな機械が立っているのは不釣り合いで異様な景色かと想像するのだが、どういうわけか風景の一部に溶け込んでいるのである。そらに向かって立つパラボラ、ここが天に一番近い場所だからであろうか。

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 かんたんな望遠鏡で見られる宇宙を浅い宇宙とすれば、この野辺山の45m電波望遠鏡は深く遠い宇宙をみるために使われているそうである。小淵沢の駅は881mで、野辺山駅のホームには1345mとあったから、周囲を山に囲まれたこの高原は、比喩でなくても都会と切り離されていて、にぎやかな都会の電波が聴こえにくく、しずかに宇宙に耳を澄ませるには他にない場所なのだという。

 八ヶ岳のほうに陽が沈んで、一番星、そして二番目と星を追っていると、高原の広い空はいつのまにか天高くきらめきを散りばめたような静寂に包まれる。野辺山という、そらに最も近い場所に座って、遠い宇宙からのかすかなメッセージを聴こうとするとき、いまもこうして夜空のどこかで私たちと同じように遠い彼方を探りあっている我々がいるようにも思えてくる。

鳥山 柚樹

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2017年05月16日

二つの古都、走る路面電車

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 あら早いわね、藤沢行きがもう来たわ。

ちょっと戸惑って、ああ、なんだ。よくみれば、いつもの北野白梅町ゆきの嵐電北野線でした。

してやられた、と少しくちびる噛んだのですが、こうして色とりどり、さまざまな装いの見られる嵐電は楽しいものですね。

 薄いか濃いかでいえば、深いむらさきいろした一両編成。これが嵐電のトレードマークですが、濃いみどりにベージュの帯して走る電車はどこか見覚えがあるけれど、ここではない。きっかけは、どちらも"古都"を走る路電どうし、といったところでしょうか。東と西でずいぶん離れた、江ノ電と嵐電ですが、いちおう二人は姉妹ということなのだそうです。


 本当の姉妹ではないけれど、遠く離れて、といって連想の糸をつないでゆくと、鎌倉を舞台にした小説「山の音」を書いたのは川端康成でしたが、川端さんの作品に「虹いくたび」という作品があったのを思い出します。主人公と言ってしまうと語弊がありますが、作品をつくるのは若い三姉妹。しかし、実は三人とも父親は同じで母親がそれぞれ違う、いわゆる腹違いのきょうだいなのです。そして、わけあって末の若子だけは京都で生まれ育ち、自分の知らない妹がいることをそれとなく感じた二女の麻子が、東京からはるばる京都へと妹を探しにくる、というところから始まるお話だったと思います。

 もちろん永く歴史の舞台とされた京都の街は、何かと作品のモチーフにされがちなものですが、ただ観光の名所を並べただけで通っているそれらとは違って、川端さんのじっくりとした観察の眼、そして流麗かつ簡潔な筆づかいによって、京都の風物がありのままに、そして全体に効果を与えるようにきれいに切りとられていたように思います。


 川端さんと呼んでいるのは余りになれなれしいようですが、川端さんのほかの作品である、京北の北山杉の里を舞台にした「古都」へと読書の散歩みちをのばしてみても面白そうです。ただ、こんな折ですから、何度も読みかえしてセリフの逐一までおぼろげながら覚えてしまった「虹いくたび」を、またはじめからページを繰ってみたいと思うのです。


2017/5/7
posted by Y.Toriyama at 15:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記