2018年04月02日

くもりのち、あめ

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 地下街を出ると、思いのほか雨はきびしく降りだして、せっかくの傘を濡らさなければならなかった。横風が時折、唐突に吹けば、ひざ下が濡れて冷たかった。ただそれよりも、眼鏡についた水滴は指で何度ぬぐっても、細かいしずくにちぎれるばかり、私の視界を思いやりなく邪魔するのが口惜しかった。

 しかたなしにバスに乗れば、暖められた雨の空気が頬をつかんで髪にまとわりつくのを感じた。バスはたてよこに整然と伸びる二車線を一辻ずつ折れては、北に向かっている。意外とほそい道だから、時々片側が立ち往生しているときなどには、車は限りなく左に寄って、川と流れる側溝を歩道にかき散らしてゆく勢いである。

 季節がらか、朝の予報はあてにならない。曇った窓ガラスを手でこすり、窓の外を見てみるが、“通り雨”はむしろ強くなるばかりである。こんな天気だから車がいつもより多いのか、大通りから細い小道に曲がったならば、前後をすぐに固められてしまった。

 前の車にぐっと詰めて止まっているから、遠くの信号より発車の合図は目の前のテールランプで、降りやまない午後の雨と近づく夕暮れ、動かない車の列。そこにあるのは、ぼんやりとした手もちぶさたのようなもので、結局バスが動きだしたのは、後ろからのクラクションに信号の青を教えられたからであった。ただ信号が変わるのも早いらしく、じりじりと進んでスピードを落とした。先の交差点でしぶきかけた見覚えある赤の傘が、バスの横を通り過ぎていった。足どりはただ淡々として、無口なかんじだった。

 翻ってみると、この車のなかもいつもに増して静まりかえっていて、エンジンを切ると何気ない咳払いなんかもやけに鋭く聞こえるようである。

 こればかりは私の気分に過ぎないのかもしれないが、季節のかわりめの気まぐれで筆先まで冷え切ってしまうのは少し悲しいものである。こよみの上ではもう春なのだから、明日は晴れればいいのだけれども。

2017・9・2

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タグ:春ですね
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2018年03月26日

いらっしゃいませ、春ですね

 あたたかさが残っていたから、飲みほしたコーヒーカップをまだ握りしめていた。底にうっすら残るコーヒー見つめ、掌のなかでぐるぐると、考えごとをしていたのだけれども、思いはいつもの行き止まりに来て、仕方のないこと、と傍らのギターに手を伸ばしては、他愛ないアルペジオを爪弾いて、いつものようにお茶を濁してばかりいる。

 空の寒さ、風の冷たさがあたりまえだったこないだまでは、ストーブを焚いて通り沿いの窓ガラスを内から曇らせておけば、それでよかった。道すがら足を休めてゆくひとも少なくなく、カプチーノの淡い泡、カフェラッテの甘い湯気でコーヒーショップはにぎやかだった。けれど春一番の風が吹いて、三寒四温も温に傾くようなこんな日には、ただこじんまりとして古い街道に溶け込んでしまうような、物静かなこの店はとかく忘られがちで、手もちぶさたにギターを鳴らしてみたりしている春なのである。

 昼過ぎて、西向きの通りから日差しが廊下を照らしだした。窓に近いテーブルはよく光をはね返すらしく、見ていてまぶしく、外の陽気が分かるようだった。

 夢だったお店が始まって、初めての春が来る。マスターと呼ばれてちょうど一周めの春である。はじめはやけによそよそしかった居抜きのカウンターも、新しく揃えたいくつかのテーブルたちも、ゆっくりではあるけれど、私と馴染みになってきているようである。そんなわけだから、期待というのは無いわけではないけれど、今日は不安が私の心を押している。

 この店が温めることができるのは、かじかんだつめたい手か、冷えた頬くらいなのだろうけど、それでは少しさみしいものだ。私はギターの余韻を聴きながら、コーヒーカップに手をやった。寄せたくちびるに、磁器のふちはすっかり冷たくなっていた。空のカップで飲み込んだのは、たださみしさだけだった。こうして私の二年目は始まった。

 ただその傍らで、いくつか嬉しい思い出が浮かんできた。顔なじみになったひとたちのことを思った。この道を通るたび、何度も足を寄せていってくれたひとたちが、また何かのついでにふらりと街道を通ったとき、きっとOPENの文字をお店の窓に見つけてほしい。いくつか笑顔を思い出して、気付かされたのはこんな思いだった。

 手元のカップを片付けて、もう一度ドリッパーに火を入れた。グラスはまだ磨き足りないけれど、スチームのいい音がしてほろ苦いいい匂いが広がった。

 つれづれながら、閉めてしまわなくてよかった。ウィンドチャイムがしゃらりと鳴って、いらっしゃい、ドアが開いた。若いふたり連れ、少しあついような春色のコートのふたりだった。


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2018年01月29日

18きっぷ

クロスシートといっても色々あるけれど、新快速電車でよく見るような背もたれを前後に動かせば四人掛けの向かい合わせを作れる席で、楽しげに旅にくつろぐ若いひとたちに乗り合わせた。

旅の行程はもう十分に知り合っているのか、それとも誰か一人に皆でもたれかかっているだろうか、かばんから時刻表を取り出すでもなく、小さくまとめた紙きれを見て、浜松への到着時刻をくり返している。

東海道線は時間になって大垣の駅を発つと、景色の単調さゆえか口数少なに、おのおの携帯電話を調べたり、文庫を読んだり、ぼんやり窓の外を眺めているようだったけれど、誰だかふと来た道に目をやると、思い出すのは琵琶湖あたりをなぞる風景、今は跡なき安土城、湖畔を見下ろす小高き彦根のお城がよみがえる。

どうやら新幹線を使わない、西から東への長旅らしい。

太陽は昇りきって、陽はこれから傾き始める昼下がり。乗り換えがてら手に入れた駅弁はそこそこに、ビールを一缶ぐいとやり、窓の光もあたたかだから、私のまぶたはだんだん重く、至福のひとときにいともかんたんに落ちてゆくのだけれども、四人掛けの彼たちは若さゆえ、ほおづえをついてもうつりうつらともしないで、ただ静かに楽しげに笑い合ったり外を眺めたりしている。

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2017年10月23日

静かな朝を東京で

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 朝の中央線快速、山手線のうちがわを走っているのに、東京から新宿へ向かう電車はめずらしくうんとすいている。これを見つけてからは、わざわざ東京へ回るのを遠回りと思わず、長い座席にのんびりと座って外濠のしずかな景色を眺めたりするのが毎朝のきまりとなった。

 私は、東京から見ればずっと南の鎌倉辺りからながいこと新宿に通っているから、最近では便利になった湘南新宿ラインをつかえばひと足でパッと、いや、ひと眠りで乗り換えなくゆけるのだけれども、うちを早く出て、横須賀線で東京へ回って、地下ホームからの階段を上ったところにあるカフェでちょっと軽めな朝ごはんをいただいて、それから腕の時計を見てもまだ出社までは一時間。テーブルを片付けてもらって、コーヒーを楽しみながら、ちびちびと小説を読み進めたりする。そしてそれから、エスカレーターを上がってオレンジ色の電車でゆったり座って通うのが、なんだか心地よくて、早起きは苦手で何事も三日坊主で済ませてきた私でもできるちょうどいい習慣となって、たまに寝坊をして鎌倉駅行きのバスに一本乗り遅れて新宿に直行しなければいけなくなった朝などには、大人としては分かっていても、どこか子供っぽい自分がまだぼんやりと目をこすっているような気さえするようになった。

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 仕事の帰りなんかに八重洲口のほうに用があって、新宿から一駅の代々木駅あたりから各駅停車に乗ったことがあったが、この黄色い電車は御茶ノ水でオレンジ色の東京行きに乗り換えるまでのあいだ、何回もわきを走る快速電車に追い抜かれたりした。中央線はオレンジ色の快速と黄の各駅停車が別々の線路を走るようにつくられている。いつもは各駅停車をどんどん追い抜いてゆくのだけれども、逆に抜かれる立場になってみると、新宿・東京間は結構長い時間乗っているように感じたのを覚えている。

 だから、距離でいえば結構な遠回りになるのだろうけど、御茶ノ水のほかには四谷にしか止まらない快速を使うから、時間でいえば10分か15分くらいのほどよい寄りみちになっているようである。

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 まいあさ毎朝、東京のまわりから都心へ向かう電車はJR、私鉄を問わず、息をするのもつらいほどの混雑で、窓の外の景色などに気を向ける余裕などなかなか生まれてこないのだが、こうして早起き・健康づくりを兼ねて、小さな遠回りを日々かさねることで、外濠のみずに映る空のいろの微妙な変化だったり、言葉にするのは難しいことだけれども、いつのまにか季節の変わり目に敏感な自分を発見したりと、この歳ながら、自分の中に変化が生まれていることにおどろいたりしている。

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2017年10月18日

"回らない"大阪環状線

東京の人が大阪へ来て、なんばにでも行こうと大阪環状線に乗り換えようと思うと困ってしまうことがしばしばある。"環状線"というのだから、ひたすらぐるぐる回る、西の山手線のようなものだろう、というのが関東人の論理であって、列車を待ち並ぶための乗車位置がいくつもあるのがよくわからないのである。

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次の電車は何分だろうと、人混みの頭のあいだから電光表示板を見つけると、確かに山手線のように3分、5分間隔で来るようだ。たしかに大阪も大都市である、と納得するのだが、それも束の間、けたたましいホーム・メロディーと共にやってきた電車は"関空・紀州路快速"とかいていて、頭はもうクエスチョンマークである。数分前のわたくしの行いを振り返ってみても、ホームを間違えているわけではなく、確かに大阪環状線のホームである。"紀州"とはもちろん和歌山あたりのことだろうが、大阪駅も広いのだからほかのホームから出そうなものである。

とりあえず、というのが関東人の癖だから、次の電車を待ってみると、やってきたのはオレンジ色の201系。えぇ、と声が出てしまった。どうして梅田に往年の中央特快がやってくるのだろう。JR東日本ではもう国鉄系車両はほとんど消えてしまったが、西日本では部品や内装を新しいものに取り換えて、古い車両とも長く付き合う、いわゆる延命工事をやっているそうで、思いがけず懐かしい電車に出くわして驚いて、思わず声に出してしまった。

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どうやらこの"中央線快速電車"が正解らしく、こともなく東回りに半周回って、新今宮で乗り換えて、JR難波の駅に着いた。土地勘がまったくないと難波の地下駅も出口がさまざま、難しい駅であるが、あたふたした電話口のわたしの声をくみとって改札口まで出迎えに来てくれた。つきあいの長いふるい友人だったが、大阪で会うのはほぼ初めてだったといっていい。

彼は程よい早口で、リズム感豊かな関西ことばですっきり話す男であるが、新幹線を降りてからの事の顛末を彼に語ると、ああ合点なるほど、といった顔でてきぱきと教えてくれた。


山手線で一大ターミナルというと東京駅であるが、それと対になるのはちょうど向かいにある新宿駅である。これと同じように、大阪駅と対になるのが新今宮の次の天王寺という駅である。新宿駅から中央線が西へ伸びているけれども、同じように天王寺駅からは東へ大和路線、南へ阪和線が伸びている。

中央線の場合は山手の円を横切る御濠端の線路があるから構わないが、大阪環状線にはそれがないから、大和路線・阪和線からの電車を大阪まで通すために環状線の線路を使わせているのである。


たしかに山手線も途中、埼京線や京浜東北線なんかと並走することはあるけれど、彼らが山手線の線路にまで入ってくることはない。だから、上り・下りの単複線の環状線にいろんな行先の列車が走るのはものめずらしく映るのであった。

しかし、これを聞いてもなんだか腑に落ちない気がするのは、環状線なのに回らないのか?と思うからである。出会って早々こんな話ばかりなのは私も仕方ないが、嫌でもなく教えてくれるのだから彼はほんとうに優しいやつである。


これは後でじっさいに奈良方面から"大和路快速"で大阪まで乗ってみてやっと納得したことであるけれど、大阪へ上ってくる快速は天王寺から新今宮、弁天町、西九条、福島と環状線の西側を回って大阪駅までやってくるが、ここから何事もなかったかのように天王寺行きに変わり、環状線の残り東半分を各駅停車としてゆくのである。逆に和歌山や奈良へ向かう下り電車は大阪駅始発ではなく、天王寺が始発で、寺田町、桃谷、京橋なんかを回って、大阪駅から快速運転になって、もいちど天王寺を通って各地へ走ってゆくのである。なんだか数字の6を裏返したような路線図で、回る部分では半周は慣らしでもしているかのようで面白い運転のしかたである。

もちろん、山手線のようにぐるぐる回るだけの列車もあって、それがさっきのオレンジ色の国鉄系である。ただ、これも時には輪っかをはずれてユニバーサルスタジオのあるほうへ行ったりするから気を付けないといけない。


一つのホームにいろんな行先の列車がくる、いろんな時代の列車がくる、同じ線路の上にいろんな電車を通す臨機応変なやり方は、商人の街・大阪のやりくりじょうずな気質を反映したものかもしれないし、何事にしてもとかくお堅く考えがちで発想の柔軟さに欠ける関東人も学ぶところがあるのではないかと思ったりした。



鳥山 柚樹
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2017年09月18日

淡い望郷

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             背の高い送電線がまっすぐに伸びる線路の上に続いていて、夕やみに沈んでゆく薄暗い街を見渡すように二、三羽の黒いカラスが微妙な間隔をあけてとまっている。時折、何か呼びかけるようにカラスはかあかあと鳴いたが、足元を貨物列車が通るとそれぞればらばらの方向に飛んでいった。石油の積まれたタンク、赤紫色のコンテナがいくつか続いて、石灰石の入ったらしい有蓋車。単調な貨車の音が線路を走り去ると、一羽は北へ、また一羽は西のほうへ、そしてまた一羽は違うほうへと散りぢりに飛んでいった。

              電灯で明るい電車を待つのとは違って、機関車につながれた貨車はどこまでも無機質で、普通では聴かないようなモーターか何かの大きな音が機関車が過ぎるとき、こちらの息をあっと潰してゆくようだ。

              東海道貨物線には日本各地からの貨物列車がやってくるが、それがどこからやってきたものなのかは、だいたい機関車の横っ腹にあるプレートを見ればいい。今行った列車はおそらく愛知、滋賀、京都を超えて、さらに西へむかう長い列車なのだろう。日没間際に東京を出て、暗い線路を足元ちかくだけを照らしながら、やすみなく西へ西へと東海道を下ってゆく貨物列車を私は思ってみる。ただ、それは夢を追った上京の旅の逆戻しでしかなく、厳しく言えば甘えのような妄想に過ぎないのかもしれない。

              私はこんな夕暮れ時に、都会へ出るために裸の蛍光灯がやけに眩しいようなこのホームで列車を待っている。電車はそのうち来ることだろう。また貨物が目の前を通り過ぎた。ヘッドライトをつけて明るいのは頭の電気機関車だけで、あとは黒光りするタンクやコンテナがただ無関心に通り過ぎてゆくだけである。それなのに私はどうしてもそこに懐かしさを求めたりして、できることならば時折現れる荷物の積んでいない空の台車にとび乗って、夜中でも帰ってしまいたいような思いに震えている。ただ、信号は青になって列車は徐々にスピードを上げて走り去ってゆくと、私の淡い思いはあっけなく撥ねのけられてしまったように感じた。

2017/3/24 鳥山 柚樹

posted by Y.Toriyama at 06:00| フィクション
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