2018年03月22日

"タイムズスクエア・たったひとつぶん"

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渋谷、原宿と山手線外回りが代々木を出ると、いつのまにやら新宿である。摩天楼じみた時計塔、ビルの谷間に都庁のタワーがちらりと見えた。小田急線が西側から合流すれば、甲州街道の下を電車はくぐる。ちかごろ、新宿駅はどんどん南へ大きくなって、この二駅のあいだは、タイムズスクエアたったのひとつぶん。東京一短い、山手線ひと駅ぶんの旅。がたんごとんと15番ホームに列車は着いた。

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2018年03月14日

"京都の花園"

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「花園」はたしか関西だった、ということだけを覚えて京都にやってくると、少しのんきな感じもする嵯峨野線の花園駅に降りてみて拍子抜けをする。少し歩いてこの辺りに大きなグラウンドでも、と探してみたくなるけれども、この洛外の駅の周りにかのラグビーの聖地はない。かわりに目につくのは二階建ての駅のホームから見える双ヶ岡で、遠き平安の時代、清原夏野という朝廷びとがこの山のふもとに屋敷を持っていた。夏野の邸宅がいろとりどりの花に飾られていたことから、この辺りは花園と呼ばれるようになったのである。

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2018年03月06日

"白梅町と紅梅町"

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天満宮の梅苑がじき見頃であるけれど、嵐電北野線が西大路通にぶつかるあたりに「北野白梅町」と「北野紅梅町」というふたつの町がある。京都の町区分はかなり細かくて、地図をみればどちらも小さな町だけれど、赤と白、紅白のいろちがいでふたつの町が隣り合うのはおもしろい。

右京があれば左京がある、下京をのぼったところに上京がある。そんな京都の街の縮図を京福電車の駅のあたりにみているようでおもしろい。

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2018年02月26日

街を離れて〜JR相模線〜

 川崎から東海道線に乗り数十分。茅ケ崎の駅に降りてみた。茅ヶ崎だったか隣の辻堂だったか、ずっと前に海を見るのに湘南には来てみたことがある。

 ただ、今回の途中下車は、ここから相模線という路線に乗り換えるためである。相模線ホームは一番線であるから、ひとまず階段を昇ってうえを渡らなくてはならない。E231系を降りるなり、ホーム中程へと歩いていると、東海道線の発車メロディーはなんだか聴き慣れた音楽である。電車がホームの端に小さく消え、見えなくなって、ふとひらめけば、湘南といえばサザン、サザンオールスターズの『希望の轍』である。あいにく季節は冬だけれども、なんだか粋だね、と私は言った。

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 首都圏ではもう珍しい205系に揺られて三、四十分。降りてみたのが相武台下という駅である。通勤ラッシュとお昼のあいだの閑な時間とあって、ここまで乗ってきたのは早引きらしい学生たちがちらほらと、あとは私くらいであった。七人掛けのロングシートはがらあきで、窓に手をかけ外の景色を眺めるに、列車は住宅街のなかを抜け、次第に田畑ののどかさを沿線に加えてゆくようだった。

 相模線は上り下りが同じ線路をゆく、単線の路線である。相武台下駅はその数ある行違い駅のひとつだが、小ぶりながらも島型ホームの西側には留置線のような側線がいくつもあってややおどろいた。ただ、そのレールはどれも錆びきっていて、何ともさみしい色をしている。

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 駅のホームの西側の、側線の向こうはずっと遠くまで田んぼか何かが続いていて、そのあたりを吹きぬいてくる乾いた風が、ホームに佇む私の頬を冷たくする。次の電車はいつだか知らないが、ベンチに腰かけそちらを見やれば、一番遠くのレールは田畑に栄えた草々の枯れたのに埋もれて、そのさかいめが分からなくなってしまっている。そのためなのか、丹沢の山を臨む冬景色にはすずめの群れがたわむれて、枯れ畑に生えようとする若いみどりをついばむか、何も知らぬ鳥たちはその境界を知らずに小虫を追って春支度を続けている。

 おっと、遠くで踏切の音がする。橋本行きの下り電車が単線をゆっくりこちらへ近づいてくる。見失っていた地平線、空の広さが忘れがたく、この次の列車まで待ちたいが、手袋を忘れた手の甲がちょっぴり冷えすぎてしまった。

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2018年02月20日

ひらめきで数学を楽しむ〜積分は微分の逆演算〜

 問題に対してどういう態度でどう理論立てて向かってゆくか、というのが数学の学問でいちばん大切なことである。ただ、パズルやゲームとして数学を楽しむばあいには、理詰めで考えるよりも、ひらめきや勘に頼ってみるのもいいじゃない、という話をしたい。そしてそれは言わずもがな、数学研究の行き詰まりに風穴を開ける発想力のトレーニングになる、ということでもある。
 ある函数に対して、微分をするとそれに戻るような函数を求めることを”積分する”と言っている。面積や体積を求めたりする具体的な意味の積分と区別して、”原始函数を求める”と言ったりすることもあるのだが、原始函数を求めることは函数を微分することに比べて案外難しい。それは、微分操作にはある程度のセオリーがあるのに、積分にはこれと決まった定石があるわけではないからである。“置換積分”というのも(先人の積み上げてきた)経験則であるし、“部分積分法”とかいうのも定理と呼べるものではなく、どちらかといえば慣れとかコツのようなものである。事務処理的に問いを解くなら、これらの経験則をしがんでねちっこく計算を進めるほかないが、これらの方法は“これを使うとうまくゆくことがあった、だからうまくゆくことがないわけではない”という程度のものであるから、あまり囚われすぎないほうがいい。
 もっと自由に考えるにはどうしたらいいか。そもそもの原始函数の定義を、“微分したら元の函数に戻るもの”あたりに考えるならば、あてずっぽうにひらめき出した函数を微分してみてそれが元の問題の函数と一緒ならば、それが答えだ、ということになる。ただ、あてずっぽうというには数式の世界は広すぎるから、“適当に考える”の“適当”をハイブリットな意味で使わなければならない。微分の法則やその数式に対して持っている色んな知識を使いながら分析し、楽な気持ちでトライ・アンド・エラーを繰り返す。
 このあいだ、またひとつ数学の未解決問題が解決されたけれど、厳密性の数学とはいいながらも、世紀の大発見はまずひらめきから始まって、そのあと丁寧な思考によって精密に作り上げられてゆくものなのである。何事もひらめきに頼って生きてゆくのも悪くない、と近頃はおもうのである。∎

2018年2月19日 鳥山 柚樹

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