2018年02月26日

街を離れて〜JR相模線〜

 川崎から東海道線に乗り数十分。茅ケ崎の駅に降りてみた。茅ヶ崎だったか隣の辻堂だったか、ずっと前に海を見るのに湘南には来てみたことがある。

 ただ、今回の途中下車は、ここから相模線という路線に乗り換えるためである。相模線ホームは一番線であるから、ひとまず階段を昇ってうえを渡らなくてはならない。E231系を降りるなり、ホーム中程へと歩いていると、東海道線の発車メロディーはなんだか聴き慣れた音楽である。電車がホームの端に小さく消え、見えなくなって、ふとひらめけば、湘南といえばサザン、サザンオールスターズの『希望の轍』である。あいにく季節は冬だけれども、なんだか粋だね、と私は言った。

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 首都圏ではもう珍しい205系に揺られて三、四十分。降りてみたのが相武台下という駅である。通勤ラッシュとお昼のあいだの閑な時間とあって、ここまで乗ってきたのは早引きらしい学生たちがちらほらと、あとは私くらいであった。七人掛けのロングシートはがらあきで、窓に手をかけ外の景色を眺めるに、列車は住宅街のなかを抜け、次第に田畑ののどかさを沿線に加えてゆくようだった。

 相模線は上り下りが同じ線路をゆく、単線の路線である。相武台下駅はその数ある行違い駅のひとつだが、小ぶりながらも島型ホームの西側には留置線のような側線がいくつもあってややおどろいた。ただ、そのレールはどれも錆びきっていて、何ともさみしい色をしている。

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 駅のホームの西側の、側線の向こうはずっと遠くまで田んぼか何かが続いていて、そのあたりを吹きぬいてくる乾いた風が、ホームに佇む私の頬を冷たくする。次の電車はいつだか知らないが、ベンチに腰かけそちらを見やれば、一番遠くのレールは田畑に栄えた草々の枯れたのに埋もれて、そのさかいめが分からなくなってしまっている。そのためなのか、丹沢の山を臨む冬景色にはすずめの群れがたわむれて、枯れ畑に生えようとする若いみどりをついばむか、何も知らぬ鳥たちはその境界を知らずに小虫を追って春支度を続けている。

 おっと、遠くで踏切の音がする。橋本行きの下り電車が単線をゆっくりこちらへ近づいてくる。見失っていた地平線、空の広さが忘れがたく、この次の列車まで待ちたいが、手袋を忘れた手の甲がちょっぴり冷えすぎてしまった。

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2018年02月20日

ひらめきで数学を楽しむ〜積分は微分の逆演算〜

 問題に対してどういう態度でどう理論立てて向かってゆくか、というのが数学の学問でいちばん大切なことである。ただ、パズルやゲームとして数学を楽しむばあいには、理詰めで考えるよりも、ひらめきや勘に頼ってみるのもいいじゃない、という話をしたい。そしてそれは言わずもがな、数学研究の行き詰まりに風穴を開ける発想力のトレーニングになる、ということでもある。
 ある函数に対して、微分をするとそれに戻るような函数を求めることを”積分する”と言っている。面積や体積を求めたりする具体的な意味の積分と区別して、”原始函数を求める”と言ったりすることもあるのだが、原始函数を求めることは函数を微分することに比べて案外難しい。それは、微分操作にはある程度のセオリーがあるのに、積分にはこれと決まった定石があるわけではないからである。“置換積分”というのも(先人の積み上げてきた)経験則であるし、“部分積分法”とかいうのも定理と呼べるものではなく、どちらかといえば慣れとかコツのようなものである。事務処理的に問いを解くなら、これらの経験則をしがんでねちっこく計算を進めるほかないが、これらの方法は“これを使うとうまくゆくことがあった、だからうまくゆくことがないわけではない”という程度のものであるから、あまり囚われすぎないほうがいい。
 もっと自由に考えるにはどうしたらいいか。そもそもの原始函数の定義を、“微分したら元の函数に戻るもの”あたりに考えるならば、あてずっぽうにひらめき出した函数を微分してみてそれが元の問題の函数と一緒ならば、それが答えだ、ということになる。ただ、あてずっぽうというには数式の世界は広すぎるから、“適当に考える”の“適当”をハイブリットな意味で使わなければならない。微分の法則やその数式に対して持っている色んな知識を使いながら分析し、楽な気持ちでトライ・アンド・エラーを繰り返す。
 このあいだ、またひとつ数学の未解決問題が解決されたけれど、厳密性の数学とはいいながらも、世紀の大発見はまずひらめきから始まって、そのあと丁寧な思考によって精密に作り上げられてゆくものなのである。何事もひらめきに頼って生きてゆくのも悪くない、と近頃はおもうのである。∎

2018年2月19日 鳥山 柚樹

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2018年02月05日

"寒中御見舞、申し上げます"

枕草子風に、いとほしきもの、と始めるならば、私の場合、苔むした巌、その上に積もりていまだ解けずに残りたる白き雪、とつづく。

苔というのは他の木々や草花とちがって、陽の照るようなまぶしいところでは育たない。

山地でもなく、きまぐれに降る雪ならば、案外まぶしい真冬の太陽に昼過ぎには解けてしまう。

それでも昨晩、いや、おとといからの粉雪がそのままに降り積もっているのは、物静かな林の影の、抹茶色に苔むした小石のうえにふんわり積もった雪である。

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2018年01月29日

18きっぷ

クロスシートといっても色々あるけれど、新快速電車でよく見るような背もたれを前後に動かせば四人掛けの向かい合わせを作れる席で、楽しげに旅にくつろぐ若いひとたちに乗り合わせた。

旅の行程はもう十分に知り合っているのか、それとも誰か一人に皆でもたれかかっているだろうか、かばんから時刻表を取り出すでもなく、小さくまとめた紙きれを見て、浜松への到着時刻をくり返している。

東海道線は時間になって大垣の駅を発つと、景色の単調さゆえか口数少なに、おのおの携帯電話を調べたり、文庫を読んだり、ぼんやり窓の外を眺めているようだったけれど、誰だかふと来た道に目をやると、思い出すのは琵琶湖あたりをなぞる風景、今は跡なき安土城、湖畔を見下ろす小高き彦根のお城がよみがえる。

どうやら新幹線を使わない、西から東への長旅らしい。

太陽は昇りきって、陽はこれから傾き始める昼下がり。乗り換えがてら手に入れた駅弁はそこそこに、ビールを一缶ぐいとやり、窓の光もあたたかだから、私のまぶたはだんだん重く、至福のひとときにいともかんたんに落ちてゆくのだけれども、四人掛けの彼たちは若さゆえ、ほおづえをついてもうつりうつらともしないで、ただ静かに楽しげに笑い合ったり外を眺めたりしている。

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2018年01月22日

"ことしもどうぞよろしく"

2017年はもう終わったのに、ついつい書いてしまう、2017年1月20日。春になれば17などとは書かなくなるけれど、1月のあいだはやっぱり書いてしまう。それも消せないボールペンで。
何べん書いてもしっくりこない、これは毎年のことだけれど、私の日記の1月のページはどれも去年に未練があるようで。
修正テープを使うほど私は繊細にはできていないから、私のノートの数字の8は、7に「S」をへたなはんだでつなげたような、ちょっと幼い、未完成な顔ばかりしている。
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